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舞台鑑賞と日常のおぼえがき


by unekocan

姑獲鳥の夏

原作を読んだのは9年前くらいでしょうか。会社の先輩が「姑獲鳥の夏」「鉄鼠の檻」「魍魎の箱」と立て続けに貸してくれて。
気が付けば、ほとんどの映画館で12日まで、となっていたので、行きました。思っていたよりも上演期間が短か目だったのは、あまり評判がよくないのかしら?
たしかにここまで原作にインパクトがあると、作ること自体も難しいし、思い入れしている人が多いから成功するのは難しいかも知れません。
私の感想とは「映画作品としては疑問点もあるけれど、映画を見た、という満足感があった」、です。



映画作品としては疑問点がある、というのは原作を読んでいるので、知らず知らずに、その記憶で補完しながら見ていたような気がして、原作を知らなければ随分と不足する点が多いのではないかということ。
原作ではすごい量の言葉で語られていた人物の背景だとか、妖怪についての古文書の知識だとか、2時間の映画にすべて収めるのは無理というものです。人物についてはストーリーに影響ないことについては大分はしょられていました。榎さんが薔薇十字探偵社の探偵であり、他人の記憶を見る、ということは語られるが、元華族であることには触れられていないとか。私としては台詞なんかで説明しないのは好きですけれどね。それに「人物像」はよく表現されていたのではないかと思います。京極堂は真正面のカットが多く、関口巽は奇妙なバランスで首を傾けている。涼子、京子については同じカットが繰り返し出てきていました。人物については配役も含めて、特にイメージが違うということは私にはなかったです。ただ、永瀬正敏はふとした立ち方がやっぱりスタイリッシュに見えて、とにかく情けない、という関口のイメージの方が変わってしまいました(笑)。この人、精神のバランスが悪いだけでかっこいい人なのかも、と。
関口の妻だけは篠原涼子がどう、ということではなくて、最初の登場シーンで髪を長くたらしていたのが自分のイメージとは全くちがっていましたが。あの奥さんはいつもきちんと髪を結っている、しっかりもの、のイメージなんです。
謎解きについては、言葉が制限されてしまう分、原作を読んだときの「こんなところから引っ張ってきたのか」という感じが薄れてしまい、平板な印象になったことは否めません。

「映画を見たという満足感」は、この前に見た「星になった少年」にほとんど全くそれがなかったもので・・・映画って、映像や音楽に独特の「におい」があると思うんですよ。「姑獲鳥の夏」にはその「におい」はありました。こういう怪奇的な映像は一歩間違えると、たいそうに安っぽくなってしまうものですが、まだ夜の闇が身近にあった時代、昭和二十年代のいかがわしさも感じられましたし。そういえば、この時代については、子供のころ、公民館での上映会なんかでよく見ましたが、ごちゃごちゃした時代の生命力と闇は表裏一体なんでしょうね。現代ものだとインドやタイの映画で同じようなことを感じます。
池部晋一郎の音楽も良かったです。
人にはあえて勧めませんが・・・私は楽しかったです。
by unekocan | 2005-08-12 10:51 | 映画