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舞台鑑賞と日常のおぼえがき


by unekocan

2005年3月21日 谷桃子バレエ団「ジゼル」目黒パーシモンホール

日時 2005年3月21日15時開演(17:20ごろ終演)
場所 目黒パーシモンホール
席   1階8列28番

ジゼル:高部向子 アルブレヒト:齋藤拓 ミルタ:前田新菜
※チケット購入時のキャストはミルタ:朝枝めぐみ となっていました。

谷桃子バレエ団の「ジゼル」、新春公演はジゼル:伊藤範子さんでした。高部さんは私の中ではコンテンポラリーのイメージが強く、クラシック作品ではキトリとか、フェータルマとか、押し出しの強い役で見ているので、どんなジゼルなんだろうと思っていました。
結果、今回はジゼルから目が離せないことに。こちらのバレエ団の公演では脇を見るのが楽しいのですけれど、今回はコールドはもちろん、アルブレヒトもミルタもヒラリオンも、ともすればふっとんでしまうくらい、ジゼルばかり見ていました。
席は8列ですが、オーケストラピットから数えると3列目でした。コールドのフォーメーションは見づらいけれど、お芝居が細かくわかるのは楽しかったです。



1月の覚書でも書きましたが、谷版(レニングラード版再振付、再演出)では、冒頭にヒラリオンとベルタ(ジゼルの母)とのやり取りはありません。村の娘達がまず登場して、そのあと、ウィルフリードとアルブレヒトが現れます。アルブレヒトはマントと剣を小屋に隠して、ウィルフリードを下がらせ、自分は隠れます。その後花束を持ったヒラリオンが登場し、花をジゼルの家の戸口のかごに挿して去っていきます。その後アルブレヒトが再び現れてジゼルの家の戸口を叩き、ジゼルが家の中から現れる、という流れです。
アルブレヒトとヒラリオンのジゼルへの態度が対比されています。
二人とも家の中にいるジゼルに投げキスをしますが、アルブレヒトは慣れた感じで、意味も軽いのかな、とう感じ。ジゼルの家の戸を叩きかけてやめ、黙って花だけ置いていくヒラリオンは後ろ髪を惹かれるようにゆっくりと。アルブレヒトは戸をたたくのも何の躊躇もありません。本人ではなくて、お母さんが出てきたら、なんてことは考えていないんでしょう。
さて、ジゼル登場。
予想通り、かわいらしいジゼルです。ずっと前にイザベル・アジャーニの「王妃マルゴ」を見たときに、当時30代後半だったはずにアジャーニのマルゴはちゃんと10代に見えましたが、高部さんのジゼルも10代です。恋に恋している娘。この時点で、ジゼルがアルブレヒトを深く愛していたかどうかはむしろ疑問だなあと感じさせるくらい。
発作を起こしてから、心配するアルブレヒトに「大丈夫よ」と微笑みますが、ここで、本当は苦しいのを我慢している、というのは私は初めて見ました(もしかしたら他の方のジゼルも同じなのかもしれませんが・・・)。娘たちの列の両端にジゼルとアルブレヒトがつき、風車のように舞台を回っていくところでも、バランセや手の上げ下げのタイミングが微妙に遅れ、ときどき胸元を抑えたりしていました。この後のシーンで母親ベルタが「(注意しないと)死んでしまうよ」というマイムをしますので、ジゼルにとって「死」は同じ年代の娘たちよりは意識せざるを得ないものだったと思います。高部さんのジゼルは、一見あまりそういうことは意識していないようで、その明るさ、楽しげな様子が、かえって過ぎ去ってしまう彼女の青春、人生の中の楽しい時間のはかなさを思わせます。
狂乱のシーンは、伊藤さんとは結構印象が違いました。伊藤さんは解け髪で立ち上がった姿が「中心が解けてしまった」感じだったんですね。高部さんはパニック状態になりながらも一生懸命とどまろうとしているような、そんな気がしました。
アルブレヒトに抱きとめられたジゼルが死ぬ瞬間、脱力して後ろに吹っ飛ぶように倒れこんだのはインパクトがありました。
休憩時間に高部尚子さんのご夫君の姿をお見かけしました。それで、今松島勇気さんが「キャッツ」出演中だったことを思い出す・・・いえ、村祭りの場面では探してしまったんです。

第2幕。
1月に見たときには、ちょっとビックリ系(人魂が飛んだり、ウィリーのベールが糸か何かで吊られて外れるのが、お化け屋敷っぽく思えてしまって)の演出に違和感があったのですが、今回はそうでもありませんでした。
前田さんのミルタはきれいなのですが、もう一呼吸、が欲しいなあと個人的には思いました。パンシェでもう一呼吸止まってほしい、ジュッテの滞空時間がもう一呼吸ほしい。
ウィリーとなったジゼルが現れ、ミルタに命じられて最初に踊りだすところで、その一種機械的というか、正確に繰り出されるフェッテと1幕とはまるで違う全身の表情に目を奪われました。これは人間の娘「ジゼル」ではない、人外のものだと。ただ、他のウィリー達とは違って、ジゼルにはまだ個として独立したアルブレヒトへの想いがあります。それは、生きていたときよりも純化され強まっているのです。
ミルタに命乞いするアルブレヒトを見て、助かっても明日からの現実を考えたらつらいだけではないかなあ、いっそここで死んでしまった方が楽なのでは・・・などとつい思ってしまいました。後で友達には「あの時アルブレヒトはただこの苦しさから楽になりたい、というだけで先のことは考えていないのだと思う」と言われ、なるほどとは思ったのですけれど。また、キリスト教徒にとっては、こんなところで物の怪に取り殺され、遺体も見つからず正式な埋葬もされない、ということなれば死後神のもとには行かれない、ということなのかもしれません。
夜明けを告げる鐘が鳴り、ウィリーたちはお墓に帰っていきます。
今度こそ、永遠の別れ。愛する人の命を救うことはできた。けれど、この後ジゼルの魂は救われるのだろうか。直接的には時間切れが理由ではあるけれど、ミルタに逆らったジゼルはウィリーとしても存在できないことになってしまうのかも・・・やっぱり、胸が痛くなりました。
by unekocan | 2005-03-22 11:25 | ダンス