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舞台鑑賞と日常のおぼえがき


by unekocan

1月27日谷桃子バレエ団新春公演

1月27日(木)18時30分開演
東京文化会館大ホール 1階10列23番

第1部
バレエコンサート
「リゼット」よりグラン・パ・ド・ドゥ
「グラン・パ・クラシック」
「海賊」よりグラン・パ・ド・ドゥ

第2部
「ジゼル」全2幕

センターブロックで、前過ぎず、後ろ過ぎずの良い席でした。
「リゼット」が始まってしばらくして、顔がにこーっと緩んでいる自分に気がつきました(笑)。友人によると始めはやや硬かった、というものの、コンサート形式でも物語が思い浮かぶような体の表情、やっぱりこのバレエ団、大好きです。




第一部

「リゼット」の最後は、コーラスがリゼットにキスしようとして「だめよ」と言われたのかな、と見えるマイムがありました。
「グラン・パ・クラシック」は梶原さんと。二人とも背が高くて手足が長くて、華やかな美男美女。初めて観た演目ですが、振付が特徴的でした。サポートしてのポーズが決まると、男性が女性の手を離し、少しの間女性のみでポーズを維持して、その間に男性が回転などの技を決め、二人同時にキメのポーズをとる、という感じです。メリハリがはっきりしていて、踊り手にも「華」が求められますね。物語バレエの一場面ではなく、古典バレエの華やかさ、美しさを見せるための作品なのだと思います。
「海賊」のグラン・パ・ド・ドゥは、有名な、コンラッド、アリ、メドゥーラ3人で踊る2幕のパ・ド・ドゥ(パ・ド・ドゥで3人、というのも変ですが、コンラッドはほとんど踊らない)ではなく、1幕の「奴隷の踊り」でした。奴隷商人ランケデムが女奴隷のグルナーラを買い手に披露する、とう場面です。ですから、グルナーラはベールをまとって登場し、ランケデムがそれをくるくると脱がせる、といった演出もあります。グルナーラは、本心はどうなのか分かりませんが、売られる悲哀ではなく「あたしは安くないのよ」と言っているよう。
ランケデムのソロでは、グランド・ピルエットもアンマネージュもダブルの回転や、リボルタード(違うかな?)のような技を効かせていて、見せつけるような感じが、奴隷商人のあざとさになっているのかと思いました。
松島さん、高部さんはお二人とも小柄ですが、筋肉のつき方がみっしり、としていて、特にブラトップの衣装をつけた高部さんのおなかの引き締まり具合に目が行ってしまいました。

第2部
「ジゼル」
27日は
ジゼル:伊藤範子さん、アルブレヒト:齋藤拓さん、ミルタ:朝枝めぐみさんでした。

レニングラード版による再振付・演出で、これまで2回観たピーター・ライト版とは演出面で違うところが多かったです。踊りは、ライト版を覚えてはいないけれどそれほど違っていなかったはず。
冒頭のジゼルの母親ベルタとヒラリオンのやり取りはありません。全体的にベルタは蚊帳の外、というかロイス(アルブレヒトの偽名)とジゼルの仲についても、それほど強く反対しているようには見えなくて、まあ、若いんだし仕方がないわ(ジゼルの体のことは気遣っていますが)と半ば容認しているように思いました。
ベルタがヒラリオンを気に入っていることが示されたほうがヒラリオンの位置付けが分かりやすいように思います。ロマンティックバレエには「この世と異世界の対比」という構図がありますが、「ジゼル」はこの世の中にも、農民と貴族という対比があって、それぞれを逸脱しないように見張る番人としてヒラリオン(彼の職業は森番です)とウィルフリードが置かれているはず。

2幕では、ジゼルのお墓の位置が舞台中央ではなく、舞台下手の前の方でした。十字架はちょっと凝った形のもの。ジゼルの死因は版によって違い、自殺だと粗末な十字架が立てられているお墓、ショック死だともう少し整えられていると聞いたことがありますが、今回はアルブレヒトの剣で胸を突くという動作がなかったことは明らかなので、自殺扱いにはなっていないのでしょう。
ウィリーが妖精であるという演出はすごくストレートです。青い人魂が飛ぶとか、ウィリーの宙吊りも「吊っているー」とう感じではっきり見えます。一番びっくりしたのは、ヒラリオンの方を二人のウィリーがつかんで突き落としたことですね。うーん、そこまで直接か、と。
あたっているかどうか分かりませんが、「ジゼル」初演当初は、ポワントを履いて踊ること自体に曲芸みたいな意味合いがあって、観客はそういうことも含めて「妖精」の描写にスペクタクル的な要素を求めていたと思うんです。谷版ジゼルは、そのころのクラシカルな味が引継がれているのではないでしょうか。それで、私としては、もう少し演劇的に洗練されていることを求めているので、演出ではピーター・ライト版がより好みですね。

しかし、ダンサーの踊りと演技はとてもよかったです。
伊藤さんのジゼルは1幕前半ではとてもかわいらしく、アルブレヒトには恥じらいを見せながらも結構もたれかかったりして天真爛漫に甘えています。
ジゼルには体が弱い=おとなしい、というイメージがあったのですけれど、どこかはかなげではあるけれど溌剌としたジゼル、というのもありです。
狂乱の場面はすごくインパクトがありました。ショックで倒れたジゼルが立ち上がって舞台中央に進み、こちらを向くと、体が「ほどけてしまっている」のです。軸がなくて、体幹部の筋肉というか力がふわーっと外に拡散してしまっていて。
そして2幕ではジゼルでありながらジゼルではない。精霊ウィリーにジゼルの想いの残像がある、という感じでした。唯一、最後にアルブレヒトの手を取ったときだけ「重さ」が見えました。
齋藤さんのアルブレヒトは「男の子」っぽさが残る感じ。婚約者バチルド姫やクルーラント公達に象徴される貴族の生活が息苦しくて、ジゼルとの時間にほっとしていたんでしょうね。軽率ではあったけれど・・・光源氏が葵上を堅苦しく、苦手に思っていたような感じなのかもしれない。
ミルタは朝枝めぐみさん。今までの舞台の印象からも、背が高く、きりっとした雰囲気がミルタ役にはまるだろうとは思っていましたけれど、人間の感情を持たない精霊の怖さ、その裏返しとしての雑味のない透明感や美しさのあるミルタでした。
by unekocan | 2005-01-29 11:59 | ダンス